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「宮沢 賢治の魅力」

部屋の片づけをしていて発見!! お国なまりで語りかけてくれる!!今はこれがBGM!
te11-19-12.jpg
(府立植物園で撮った写真をペイントネットで加工)


「雨ニモマケズ」 宮沢 賢治

あまりにも有名な「詩」ですが、これが質実剛健を奨める教訓的なスローガンであるかのように誤解されたまま、世に広まったおかげで、聖人君子的な賢治像を生み、そのいっぽうでは、説教がましいと頭から毛嫌いをしてしまって、そのほかの詩や童話に近づかないで終う人々が出ました。
 しかし、これが書かれた事情を知れば、そうした理解は根拠のないものであることがわかってきます。
 これが書かれていたのは、黒い革表紙の手帳です。賢治は、昭和6(1931)年秋に、当時小康を得て勤めていた東北砕石工場の販路拡張のため、重いサンプル入りのトランクを提げて上京しますが、到着と同時に肺の疾患が悪化して、高熱を発し、宿屋から両親や兄弟に宛てて遺書を書きます。やがて無理をして花巻に戻り、最後の闘病生活に入りますが、ついに回復することなく、遺書を書いてちょうど2年目に当たる昭和8年9月21日に他界しました。
黒皮表紙の手帳は、昭和6年秋の上京の前後に使っていたものですが、「雨二モマケズ」は記されたページの冒頭に「11・3」という記入があるので、これが昭和6年11月3日に書かれたものと判断されます。
 つまりこれは、単なる自己修養のための言葉などではなく、自分が病気のためにもはや再起不能であることを痛感した賢治が、あまりにも病弱な我が身を心から悔しく思い、せめて今度生まれてくるならばこんなふうに・・・・・・」という悲願をこめて綴った「祈り」の言葉だったのでした。
 この事情を念頭において、今一度これを読み直し、聞き直してみて下さい。
                            {解説:入沢 康夫}{朗読:長岡 輝子}


     雨ニモマケズ 
     風ニモマケズ
     雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
     丈夫ナカラダヲモチ
     欲ハナク
     決シテイカラズ
     イツモシズカニワラッテイル
     一日ニ玄米四合ト
     味噌ト少シノ野菜ヲタベ
     アラユルコトヲ
     ジブンヲカンジョウニ入レズニ
     ヨクミキキシワカリ
     ソシテワスレズ
     野原ノ松ノ林ノ陰ノ
     小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
     東ニ病気ノコドモアレバ
     行ッテ看病シテヤリ
     西ニツカレタ母アレバ
     行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
     南ニ死ニソウナ人アレバ
     行ッテコワガラナクテモイイトイイ
     北ニケンカヤソショウガアレバ
     ツマラナイカラヤメロトイイ
     ヒド(デ?)リノトキハナミダヲナガシ
     サムサノナツハオロオロアルキ
     ミンナニデクノボートヨバレ
     ホメラレモセズ
     クニモサレズ
     ソウイウモノニ
     ワタシハナリタイ              (解説書のまま)

te12-1-2.jpg
(我が家の庭で2011・12・1撮影)

「……一日に玄米四合」・・・って結構沢山食べていたんだなあ?
昔?登った「早池峰山」今、どうなっているんだろうか?
ふと、気にかかります。行ってみたい!!春になったら旅に出ようか…!!
その前に納得のいく「こんにゃく」作りに挑戦しなくては…




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